こんにちは!ケンドーマメです。
車に詳しくない人でも知っているであろうカルロスゴーン逃亡事件。
その事件のせいで、僕もカルロスゴーンに対してイメージがあまりよくないのですが、経営者として日産を立て直した事は素直に凄いと思います。
逃亡事件やカルロスゴーンが日産で行った独裁的な話は脇に置いておいて、今回は日産がV字回復した理由となったカルロスゴーンの凄さを紹介したいと思います。
カルロスゴーンが社長として就任する前の日産
カルロスゴーンが社長に就任する前の日産は業績不振が続いていました。
原因はバブル崩壊や過去に行った多額の投資などです。
利息をつけて返す必要のある有利子負債が2兆円を超すなど倒産寸前でした。
状況的にかなり大変で、他の自動車メーカーと提携して救ってもらう以外道はないような状況でした。
有利子負債だけで2兆円超って・・・僕も中小企業で経理やっていますが、想像できないです。
本当にすごい金額ですね。
日産がV字回復した理由であるカルロスゴーンの凄さ
前述した通り業績不振で倒産寸前だった日産。
メルセデスベンツで有名なダイムラー社と提携予定でしたが、予想以上に業績が悪いせいで一方的に断られてしまい、次に提携申請のあったルノーと提携を結ぶ事になります。
その時の日産はルノーと提携できなければ倒産するとまで言われていました。
そうとう大変である事がうかがえますね。
ルノーと提携した事により日産の社長に就任したのがカルロスゴーンです。
就任後、「日産リバイバルプラン」を策定し、実行に移していきます。
その内容がカルロスゴーンの凄さを象徴しています。
日産の取引先サプライヤーを削減
1145社あった取引先サプライヤーを約半分の600社に削減しました。
日産はこれまで関係が深い部品メーカーを多数抱えており、日産の値引きに応じるかわりに長期の部品製造契約を約束したり、日産の人が役員として就任したりするズブズブの関係でした。
その結果、日産の新車販売の粗利が悪くなっていました。
典型的な日本企業って感じがします。いい意味だとお互いの縁を大事にしますが、悪く言うと天下りなどを誘発します。
日産が保有する取引先株式の売却
開発に重要と判断した4社以外の株式を全て売却しました。
これにより鉄鋼業界に激震が走ります。
日産との取引がなくなった住友金属工業は当時の新日本製鐵に吸収合併されて、川崎製鉄もNKKとJFEホールディングスとして経営統合をしました。
僕も鉄鋼業界にいたのでよく聞く名前でした。まさかこの2社が日産の株式売却の影響を受けて誕生したとは思わなかったです。意外な事実でした。
工場の閉鎖と人員削減
余剰となっていた生産能力をなくし、固定費の削減目的の為、以下の工場を閉鎖しました。
- 村山工場
- 日産車体京都工場
- 愛知機械の港工場の車両組み立て拠点
- 久里浜工場
- 九州ユニット工場
この閉鎖の影響で、従業員も2万1千人削減しました。
日本は良くも悪くも労働者の権利が強く、解雇や工場閉鎖は従業員の生活を奪う行為として、経営改善の最終手段として行われる事が多いです。それをできる事が凄いと思います。
業績をわずか1年で黒字化
「日産リバイバルプラン」として、既存取引先や人間関係などに忖度する事なく改革を実施した結果
2000年3月期では6844億円という、想像を絶するほどの赤字を計上していましたが、2001年3月期は3310億円の黒字となり、わずか1年で黒字化を成功させました。
1年で黒字化した事も驚きですが、3310億円の黒字が過去最高益となっている事も凄いと思います。
カルロスゴーンはすごい経営者だった
今となっては国際指名手配されるほどの犯罪者となってしまい、レバノンから出られない状況のカルロスゴーンですが、会社のしがらみに捕らわれることなく改革を行ったすごい経営者だったんです。
調べれば調べるほど、凄さを実感します。
まぁ、この様な事があったので日産社内でカルロスゴーンに逆らえる人がいなくなり、カルロスゴーンの私物化を許す事態となってしまった訳ですが・・・。
人間や何かの出来事には必ず光と影がありますね。
その事を実感した出来事でした。
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